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高畑尚也の直球インタビュー「私の生き方」人生行路シリーズ No.2<2008.12.1更新>

「 中国湖南省・長沙で大型店を運営する「平和堂」10年奮闘記(上) 」(1/2ページ)



長沙市の繁華街。市の人口は600万人、中心部だけでも200万人は住んでいる

  100年に1回」の金融危機だそうです。退職金を株につぎ込んで、老後の蓄えの大半をすってしまった「団塊トレーダー」も多いと聞きます。これじゃあ、景気は当分浮上しませんね。
  一時は1?=180円 もしていたガソリン価格が110円台に下落。それはそれでありがたいのですが、来春の入社を心待ちにしていた大学生の内定取り消しが報道されるなど、とんでもない年末になりそうです。
  「私の生き方 人生行路シリーズ」も、厳しい現実を何度も乗り越え、道を切り開いていった人の体験談を通して、教訓を学んでいこうと思います。
  今回は、中国・湖南省の長沙で大型商業施設を2店舗運営する滋賀県のスーパー「平和堂」の現地法人・湖南平和堂実業有限公司の寿谷正潔総経理(社長)です。進出10年後にようやく花開き、次のステップに足をかけつつある「ビジネスの神髄」に3回シリーズで迫ります。


洞庭湖と琵琶湖――海のような湖が結んだ縁


1号店の五一広場店は地下1階から地上6階までが売り場の百貨店スタイル。それより上階はオフィスビルになっている

  日本の25倍強の国土と13倍に近い人口を有する隣国・中国。北京オリンピックを成功させたパワーは認めざるを得ませんが、四川大地震やギョーザ事件、メラミン入り粉ミルク騒動といった負の部分では、流れてくる情報の何を信じればいいのか分からない得体の知れなさを感じます。
 
  都会と地方の貧富の格差は頂点に達し、暴動さえ頻発しているというのですから、明に対して暗というか、影の部分は、一体どこまでが真実なのか、われわれの知るよしもありません。でも、隣国が置かれている状況を直視せねば、これからの日本の行く末も計ることはできません。
 
  平和堂が北京や上海といった中国の大都市ではなく、両都市からでも1,000q以上離れた内陸部の湖南省で大型の店舗を開業するようになった経緯から寿谷総経理に聞いてみました。
 
  双方に洞庭湖と琵琶湖という海のように大きな湖がある縁で、湖南省と滋賀県が姉妹都市だったからです。1983年、友好県小協定が結ばれました。「双方の友好関係を深めるために、経済交流を図ろう」と84年には滋賀銀行をはじめ、平和堂など県内の企業10社ほどが出資して「滋賀県貿易株式会社」が設立されました。
 
  そしてこの年、滋賀県貿易の一員として湖南省を訪問した平和堂創業者で名誉会長の夏原平次郎氏が湖南省の経済担当者から「平和堂で中国展をやってほしい」と依頼されます。石山店5階を会場にして、麻や竹細工、刺しゅうなど、中国物産の展示即売会の開催に漕ぎ付けました。

戦場・長沙に平和のシンボル「ハトのマーク」


中国ビジネスの立ち上げ当初から携わっている寿谷総経理

  その後、中国物産展の縁で長沙に工場進出していた小泉アパレルの植本勇社長を介して、湖南省政府から省都・長沙市へ、大型商業施設の招請を受けました。

 94年7月、夏原会長が湖南省の長沙市を視察、省長から街の中心部の一等地に出店してほしいとの要請を受け、出店を決意。同年12月末に「湖南平和堂実業有限公司」が設立されました。

 96年5月に着工、98年11月8日、湖南平和堂商貿大厦が完成、第一号店「五一広場店」 がオープンしました。夏原会長は96年4月に、長沙市の社会と経済の発展に大いに貢献した実業家として、「第1回長沙市名誉市民」の1人に選ばれました。
 
  70歳以上の人なら、長沙という都市の名はよく知っています。なぜなら、1939年から44年にかけて第2次大戦で旧日本軍が大爆撃を行った戦場でもあったからです。そんな場所に、奇しくも平和のシンボル「ハトのマーク」を冠した日本の量販店が流通近代化のお手伝いをすることは、何と不思議な巡り合わせでしょう。

合弁相手が経営危機に、ようやくかなった「独資」の道


値段は高いが、安心には代えられないと「有機食品」もよく売れている=東塘店で

  普通、百貨店やスーパーが出店地を選ぶ場合は、自ら市場調査を行って、最適な場所を選ぶのですが、今回は政府の肝いりだったので、何カ所かの候補地から選ぶことになりました。
 
  もちろん、商業地で一番いい場所を選んだわけですが、当時は100%独資ということは許されていなかったので、現地の輸出入会社との合弁の形のスタートという形になりました。仲人を介してのお見合いで、すでに相手が決まっていたような感じだったわけですね。
 
  当時はセルフ販売といった形式の店舗そのものがなく、開店当初から大入り満員の連続。「大成功間違いなし」というスタートを切ったのですが、2〜3年後には合弁相手の会社が倒産に近い状態に陥り、競売に掛けられるというアクシデントがぼっ発しました。
 
  その後、WTO加盟で流通業でも独資が可能になったのを機に、07年5月平和堂95%、小泉アパレル5%出資の「湖南平和堂実業有限公司」を設立、より自由度の高い経営が可能になりました。

 3年で黒字化を果たし、06年から日本に配当している平和堂の成功ぶりを地元の企業や外資がほっておくわけがありません。瞬く間に地元の国営企業がマネをするわ、フランスのカルフール、アメリカのウォルマートなど欧米の大型店が入り乱れて、その数は30店近い数に膨れ上がりました。

スーパーや百貨店、家電量販店がブームに


メラミン入り粉ミルク事件が落とした影は大きい。消費者の選択の目も厳しい=東塘店で

  こうしたスーパーブームを省政府が容認し、歓迎していたフシがあります。というのは、それまでの露店に毛の生えたような場所で肉や魚を売るのは、衛生や品質管理上も問題が多く、「買い物環境を変えたい」という意向があったからです。
 
  また、小さな店舗の集合では、売り上げもしれているし第一、税金すら回収できないのが現状だったからです。売上管理がきちっとできる大型店の進出は、政府としても、願ったり、かなったりだったようです。

ルイ・ビトンやセリーヌはホテルに入る経営


一人っ子政策の中国。「宝貝」と呼ばれる子どもたちを集めたイベント=五一広場店で

  03年から06年にかけては、百貨店ブームが起こりました。さまざまな資本が参入して、五一広場店の周辺は百貨店が5〜6店も集まる、大競合地域に変身。最近ではとうたされる店舗が一巡して、落ち着いてきたといいます。また、05年から06年にかけて、家電量販店が市内の至るところにできました。

 ここ1〜2年はルイ・ビトンやセリーヌなど国際ブランド店が、5つ星ホテルなどに進出する傾向が強くなってきたといいます。平和堂の店舗内でもテナントに誘致したことがありますが、一等地を提供しなければならないなど条件が厳しいので、今は例外を除いては入っていないそうです。
 
  平和堂は日本では、ファッションや生活雑貨が中心の大型店「アル・プラザ」を得意としていますが、ベースとなるのは、食料品を中心としたスーパーマーケットです。でも長沙では、食料品の構成比は7〜8%しかなく、大半がファッション関連や服飾品で占められ、しかも直営の形ではなく、テナント導入の形態です。いわば、日本の百貨店のような運営をしているわけです。
 
  テナントの数は500にも及ぶといいます。それが1年で3割の150店は入れ替わるというから、すさまじい。採算が合わないとさっさと辞めてしまう欧米流が中国では当たり前で、「うじうじ」としたところはないといいます。
 
  でも、寿谷総経理は「テナント貸しに終始しているわけではなく、テナントの教育、販促、在庫管理など、運営ノウハウを提供することに努めている」と“日本企業”ならではのサービスやきめの細やかさをウリにしています。地元にとけ込んだ10年はこんな形で実ったといえます。


  次回は食品スーパーの現状、さらに中国でのビジネスの苦労話、日本人が異国で勤める秘けつなどについても、掘り下げて聞きます。

文・写真:ルーダス編集長・高畑尚也

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